海原やすよ ともこの若い頃の実力がすごい?下積み時代からブレイクまでを徹底解説!

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関西お笑い界を代表する女性漫才コンビ、海原やすよ・ともこさん。

現在も第一線で活躍するお二人ですが、若い頃の実力や下積み時代がどうだったのか気になりますよね。

また、海原やすよ・ともこさんは漫才一家の出身と言われていますが、どのような経緯でブレイクしたのでしょうか?

そこで今回のこの記事では、

海原やすよ・ともこさんの若い頃の実力

海原やすよ・ともこさんの下積み時代からブレイクまでの道のり

主にこの2つに迫っていきます。

リサーチしてみたら、海原やすよ・ともこさんは親子三代の漫才一家出身で、デビュー3年目で新人賞を総なめにする実力の持ち主だったので、ぜひ最後まで読んでいってください!

それでは、早速本題に入っていきましょう!

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目次

海原やすよ ともこは親子三代の漫才サラブレッド!

出典:yoshimoto

海原やすよ・ともこさんは、まさに漫才のサラブレッドと呼ぶにふさわしい家系に生まれました。

祖母は上方漫才の名門「海原お浜・小浜」の小浜さんで、父は「海原かける・めぐる」のかけるさんという、親子三代の芸能一家です。

海原やすよ ともこ

引用:profile.yoshimoto

ちなみに、M-1グランプリで9度審査員を務めた上沼恵美子さんは、海原お浜・小浜の弟子にあたります。

つまり、やすよ・ともこさんにとっては芸の「大叔母弟子」のような関係になるんですね。

そんな海原やすよ ともこの祖母は、戦後に活躍し、上方演芸の殿堂入りを果たした女流漫才師・海原お浜・小浜の小浜。そして、父は海原かける・めぐるのかける(相方・めぐるは池乃めだか)で、まさに芸能一家で育ったサラブレッド。

引用:lmaga.jp

2人は幼い頃から舞台に立っていました。

玉造稲荷神社の舞台で漫才を披露するなど、芸の世界に自然と馴染んでいったそうです。

小学生の頃には、ケーエープロダクション社長の藤井康民氏から毎週水曜日に漫才の稽古を受けるという、本格的な修行を開始しています。

幼少期から漫才の英才教育を受けていたことが、後の実力につながっているんですね。

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海原やすよ ともこの下積み時代は複数のコンビ名で活動!

出典:インスタ

正式デビュー前、2人は様々な名前で活動していました。

1985年頃には「海原阿里・真里」という名前で活動しており、ともこさんが阿里、やすよさんが真里を名乗っていました。

その後、「シューク」という名前で約2年間活動していたそうです。

この名前の由来は「SUE CREAM SUE」、つまり「シュークリームシュ」から来ているんですね。

そして1992年2月、やすよさんが中田カウス・ボタンの大ファンだったことから、父・かけるさんの紹介でボタン師匠に弟子入りしました。

やすともが中田ボタンに弟子入りした2カ月後にケンドーコバヤシがNSCに入学したため“ほぼ同期”だという3人は、若手時代の思い出を回想。やすともが2年間ほど「シューク」というコンビ名で活動していたという話題になると、、、

引用:お笑いナタリー

このとき、「海原やすよ・ともこ」として正式にコンビを結成したのです。

師匠は「女流漫才の名門である海原の屋号を名乗ったほうが良い」と計らい、祖母・小浜さんの快諾を得て「海原」の名を継承することができました。

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海原やすよ ともこはデビュー3年目で新人賞を総なめ!

出典:インスタ

デビューから3年後の1995年、やすよ・ともこさんの実力が一気に開花します。

なんと、デビュー3年目で主要な新人賞を軒並み獲得するという快挙を成し遂げたのです!

具体的には、以下の賞を受賞しています。

第16回ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞

第10回NHK新人演芸大賞 演芸部門大賞

第25回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞

第30回上方漫才大賞 新人奨励賞

「ABCお笑い新人グランプリ」第16回(1995)最優秀新人賞

「NHK新人演芸大賞」(1995)大賞演芸部門

「上方漫才大賞」第30回(1995)新人奨励賞

「上方漫才大賞」第32回(1997)新人賞

「NHK上方漫才コンテスト」第25回(1994)優秀賞

引用:profile.yoshimoto

この時代に同期として活躍していたのは、中川家、陣内智則さん、たむらけんじさん、ケンドーコバヤシさんなど、現在も第一線で活躍する芸人さんたちです。

その中でも、海原やすよ・ともこさんの実力は群を抜いていたんですね。

20代後半から30代にかけて、やすよ・ともこさんは「吉本のPUFFY」と呼ばれる時代を迎えます。

当時の人気音楽デュオ・PUFFYのように、ファッショナブルで可愛らしいビジュアルと確かな実力を兼ね備えていたことから、この愛称がつきました。

中川家の剛さんも「やすともは昔、吉本のパフィーと呼ばれていたのに」と証言しており、当時の人気ぶりがうかがえます。

中川家・剛は「やすともは昔、吉本のパフィーと呼ばれていたのに」と証言。

引用:lmaga

その後も、やすよ・ともこさんの実力は証明され続けます。

2012年に第47回上方漫才大賞 大賞を受賞し、2017年には第52回上方漫才大賞 大賞を受賞しました。

「上方漫才大賞」第52回(2017)大賞

「上方漫才大賞」第47回(2012)大賞

「上方漫才大賞」第43回(2008)奨励賞

「上方お笑い大賞」第34回(2005)最優秀技能賞

引用:profile.yoshimoto

女性漫才師として史上初の2度目の大賞受賞という快挙を達成したのです!

上方漫才大賞は、関西お笑い界で最も権威のある賞の一つですから、この受賞は海原やすよ・ともこさんの実力を証明するものと言えますね。

2015年の「THE MANZAI」では、ビートたけしさんが「女の漫才師で今、一番面白い」「長らく海原千里・万里が女漫才師の頂点だったけど、ようやく海原やすよともこが超えた」と絶賛しました。

この評価により、やすよ・ともこさんは「たけし賞」を受賞しています。

お笑い界のレジェンドであるビートたけしさんから、ここまで高く評価されるのは本当にすごいことですよね!

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まとめ

今回は、海原やすよ・ともこさんの若い頃の実力と、下積み時代からブレイクまでの道のりについてお伝えしました。

海原やすよ・ともこさんは、親子三代の漫才一家に生まれ、幼少期から本格的な修行を積んでいました。

下積み時代には複数のコンビ名で活動し、1992年に「海原やすよ・ともこ」として正式デビューしました。

そして、デビュー3年目で主要な新人賞を総なめにし、「吉本のPUFFY」と呼ばれる黄金期を迎え、2度の上方漫才大賞を受賞するなど、輝かしいキャリアを積み重ねてこられました。

現在も関西お笑い界の第一人者として活躍する海原やすよ・ともこさんの、今後のご活躍が楽しみですね。

それでは、ありがとうございました!

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